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戦うことをやめたら柔道も商売も楽しくなったってお話です

カテゴリー  2017.10.05

 

 

 

戦うことをやめたら楽しくなった

 

柔道との出会い

最初は柔道の受け身も知らない状態で中学校に連れて行かれ、先輩方にボロ雑巾のように投げられ【2度とやるもんか!】って思ったんですけど、負けたままで終わるのも悔しいんでその年の秋にできた【浪江町柔道スポーツ少年団】に入団し、ボロ雑巾のように投げ捨てた先輩達を自分がぶん投げてやろうじゃないのとはじめた訳なんですけど、三日坊主と言われた僕があれからなんだかんだで33年も続いてるのが不思議なくらいです。

僕って執念深いんですかね(笑)

 

勝った負けたの世界

当然ながら柔道は武道であり勝った負けたの世界です。

当然やるからには勝たなけりゃいけないし勝たなけりゃ楽しくないし、勝った時にこそ辛くてキツイ稽古をしてきて良かったと思えるんだと思うんですけど、勝つために相手を研究し相手の弱みを見つけ『勝つ手段』を試行錯誤し、それでも勝てなくて悔しくてなんのために稽古してきたんだって思っての繰り返しで、そりゃ相手も同じことを思ってるし研究だってしてるはず。

自分から飛び込んだ【勝負の世界】だったんですけど勝負の世界でやってる時の柔道は楽しくなかったなぁと今になって振り返ると思います。

 

勝負をしない今が楽しい

今は後輩に誘ってもらっていわきの柔道塾にお世話になってるんですけど、そこで中学生とか一般の方との稽古や交流が楽しくて楽しくて毎週木曜日が来るのが待ち遠しいんです。

今に思えば大学を卒業して地元に戻り僕が1期生だった【浪江町柔道スポーツ少年団】のお手伝いをするようになってから柔道が楽しくなり、幼稚園から中学生まで多くの子供達と関わってきて子供の成長を見ながら楽しく柔道ができてたんです。

それは勝負の世界じゃなくなったからなんじゃないかって思うんですよね。

子供達は当然試合もあるし勝負の世界で戦ってはいましたけど、僕自体は子供達に教える立場になり子供達が教えた技ができるようになったり、試合で勝てるようになっていくのを見てる側になって柔道が楽しめるようになったんです。

 

仕事も同じだった

大学を卒業して実家の酒屋を継ぐことを自分で決め入ったものの、当時は酒ディスカウントで他店との価格差に敏感になり、他店が1円でも安ければ問屋さんやメーカーさんに交渉し仕入れ価格を下げてもらい、それが不可能でも身銭を切ってでも他店よりもさらに1円でも安くする。

安いことが正義だった時代は本当に仕事が楽しくなかった。

常に他店の動向を見て価格調査を親戚や友達に頼んだり、問屋さんから大量に「見切り処分品」を買い付けた時は、相手の大将の首を取ったくらいの勢いで価格訴求のチラシを入れ、超薄利多売だろうがなんだろうが【利益】ではなく【売上金額】だけを追い続けた商売が楽しい訳ないですよね。

でも当時は全く気付きませんでした。

震災後の今は勝負することをやめ【ウチのお店としてお客様に喜んでもらえるには?】ということを考えるようになり、自分で好きな商品だけを売るようになり酒屋なのに児島ジーンズまで売ってる。

そんなスタイルが楽しくて仕方ないんです。

自慢じゃないですけど売上なんてまだまだです。

暇で時間もいっぱいあります。

でも楽しいです。

昔は子供達には継ぎたいと言われても絶対に同じ苦労をさせたくないから継がせないと思ってましたけど、今のスタイルになってからは子供達がやりたいと言うのであれば継がせてみてもいいかなってまで思えるようになりました。

戦うことをやめたら楽しくなったってのは柔道も商売も同じだったなぁなんてことを、今晩の柔道の稽古を考えながら配達の車の中で思いましたとさ。

 

 

 

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