
まもなく丸7年を迎えようとしていますが、今の僕の想いを書いておきたいと思います
東日本大震災からまもなく丸7年を迎えるんですけど、この時期になると震災関連の全国放送とかが増えてきますね。
この時期になると全国ネットで震災関連報道が増えるけど、僕としてはできれば福島県外にいる避難してる人達の為に、月一とかでもいいから報道してもらった方が助かるんじゃないかなって思う。福島県内にいる人はわかるけど県外にいる人は『何それ?』っていう事が多過ぎる気がする。#震災関連報道
— 佐藤浩一 酒屋の三代目 (@saketen51) 2018年3月6日
実際に県外に避難した友達は知らない情報が多すぎて、それもどうなのかなって思うことが多いんですよね。
なんか7年って未だ完全に復興してないと考えると長いようでもあり、僕個人的には一気に走り続けてきたと考えれば短いようでもありって感じですね。

まぁ僕自身も被災した経験者として思うことは、この時期になるとってよりも【あの日】からずっと人それぞれ変わらぬ想いがあって、忘れたくても忘れられない辛い想いや思い出したくないこともあるけど、それを胸に秘めながら生活をしているってことです。
『そんなの阪神淡路とか熊本とかだってあるんだから、東日本大震災ばっかりじゃないじゃん!』って何かで見たことがあるんですけど、東日本大震災ばかりをクローズアップしてほしいっていうんじゃなくて、特に福島県は原発の問題もあり未だに元の生活を取り戻せない人が多くいる現実を忘れないでほしいだけなんです。
『自分で経験しないとわかんないんだよ』っていう被災者の方の意見も何かで見ましたけど、僕はそれはちょっと違うかなって思っています。
こんな想いは誰もしなくていいじゃないですか。
僕だって好きでこういう状況になった訳ではないし、できることなら地元で幼馴染とか近所の知り合いの人達と、馬鹿話して【普通の生活】を送って浪江町で歳をとって子供達が結婚し孫が生まれ、孫守りをしながら孫の成長を見守り最終的には浪江町で死んでいくんだと思ってましたよ。
でもなってしまったことは仕方がないんです。
変えようのない事実なんです。
だったら現実を受け止めて前に進むしかないんですよね。
「そう思えるのって強いよね〜」ってよく言われるんですけど、僕だってそりゃ落ち込みましたし先が見えない不安に気が狂いそうになりました。
でも変えられない事実なのであれば前に進むしかないんです。
消防団員として地元住民を非難させてる途中で津波にのまれて未だ見つからない友達もいますし、親族を無くされた方も多くいらっしゃいます。
未だに【帰宅困難区域】で自分の家に帰れない人も沢山いますし、津波で家を流されて思い出の品も全てなくなってしまった人も沢山います。
その状況を考えれば今住む家もあり仕事もあり家族が無事だった僕は幸せなんだと思います。
誰かのせいにすれば少しは気も晴れるのかもしれないですけど、正直誰のせいでこうなったのか?って考えてみたら、大元の原因としては巨大地震(天災)なんだよなって僕は思います。
その当時は『なんでだよ!!!』って誰かにとか何かに怒りをぶつけたくなりましたけど、それをしたところで自分達が前に進めるのか?って考えてみれば、そこにしがみつくよりもできることを少しずつでも行動しながら前に進むしかないんだよなって考え方を変えるようになりました。
というか変えざるを得なかったってのが正直なところですかね。
だって家族もいたし仕事もしないで何もしてない自分が嫌になってきたんですよね。
普段は『連休くれ!』って親父に言ってた僕も、突然仕事がなくなって2週間ブラブラしてたら気が変になりそうでしたよ。
それを考えれば今僕がここにいること自体が本当にありがたいですね。
それとこれは僕からのお願いなんですが2011年3月11日の14時46分に起きた未曾有の大地震と言われた『東日本大震災』があったということだけは忘れないでください。