
今日で丸6年が経ちました。
今日は息子の卒業式でした。
お祝いをしようと思ったんですけど本人不在プラス父ちゃん謎の足の炎症で40度声の発熱(笑)
久々に40度なんて数字見ましたけど抗生物質飲んだら炎症が治まったのか熱は下がりました!
今日で丸6年が経ちました
6年も前の事なのに今でも鮮明に覚えています。
2〜3日前の事も忘れちゃうくらいなのに…。
そりゃ生活が一変しちゃいましたからね。
でも前を向いて進まなきゃいけないんですよね。
僕は幸いにも家族全員無事で住むところもあったし仕事もありましたし、生活が一変はしたけど生きてるし生活できてるし前に進むことができるんですから。
生かされ残された僕たちが復興に向けて動かなきゃって。
今月で浪江町も解除に
今月で浪江町も一部避難解除になります。
浪江に帰って生活をする方々もいるようです。
でも僕は浪江町に帰る事をやめました。
本来は帰りたい気持ちもありますけど帰ったところでウチのような商売は成り立たないと思うんです。
苦渋の決断です。
そりゃ帰りたくないわけないです。
38年間生まれ育ってきた地元だし想い出がいっぱい詰まった町ですから。
でもね、帰れないんですよね。

そもそも浪江の店も家も取り壊してないんで帰れないってのもありますけどね。
だから僕はいわき市の今の場所でやっていくことに決めました。
これから何をするべきか
これから何をするべきなのか僕なりに考えたんですけど、復興のために動くのももちろん大切なんだと思うんですけど、風化させないことも大切なんじゃないかって思います。
2011年3月11日14時46分
忘れたくても忘れられないし忘れちゃいけない。
この東日本大震災で多くの方が亡くなり現在も行方不明になっている方も多い事実。
何をして欲しいわけじゃなく忘れないでほしい。
僕はそう思います。
福島県も復興に向けて進んでいます。
でも事実どうにもならないこともあります。
だからせめて忘れないでほしいです。
僕が一番ショックなのは子供達が浪江の事をほとんど覚えてないことです。
それぞれ11年と12年生活してた地元を忘れちゃったことです。
それだけ6年という月日は長いんですね。