
45歳になって色々と思うことを綴ってみました
待望の男の子
45年前の今日、待望の男の子として母ちゃん3度目の帝王切開で無事誕生し、病院の先生も大喜びでお祝いに6mもの大きな鯉のぼりをプレゼントしてくれたらしいく、それは代々受け継がれウチの息子の時にも大空を泳いでいました。
元気でわんぱくな男の子だったと思っていたんですけど、小さな時は上の2人の姉と一緒にままごとをしたり日本舞踊を習っていた姉について行き着物を着させてらったり、さらには待望の男のだったはずなのに髪の毛をちょんまげのように結ばれ初めて会う大人達に『お嬢ちゃん可愛いね』と言われ『違うもん!僕、男の子だもん!』と言ってた幼少期。
待望の男の子じゃなかったのか?
可愛かったなぁ…。アマレスの選手みたいな服だけど(笑)
友達からのお祝い
僕の誕生日は天皇誕生日→みどりの日→昭和の日と、どう転んでも祝日なんですよね。
だから学校で友達から『おめでとう〜』って言われたことがなかったんです。
学校で友達から言われてるのを見て羨ましがってた小さい男でした(笑)
しかもゴールデンウィークの初日でワクワクしてるもんでみんな忘れてるわけですよ…。
あっ!ゴールデンウィークといえばちょっとした豆知識なんですけど、そもそもゴールデンウィークって映画会社が作った造語らしいんですけど、NHKとか一部の民法とか新聞では映画業界用語だったことから、NHKで禁止とされている業界の宣伝に当たるとして『大型連休』って言い方にしてるらしいっすよ。
当然ながら自営業のウチは僕の誕生日にお店を休んで出かけることもなく、普通の1日として過ぎていくんですよね。
でも中学とか高校・大学になると部活の仲間が言ってくれたり、仕事を始めるとお客様に言ってもらえたりとだんだん増えてはきましたけど、SNSを使い出した一昨年は誕生日終わってからでしたけど去年とかはSNSを通じて『おめでとうコメント』が多くなり今日もFacebookのコメントやメッセンジャー・TwitterとかLINEに至るまで100件を超えるコメントをいただけるようになり本当に感謝しています。
中には一度もお会いしたことがない方でも普段繋がっているとお祝いコメントがくるんです。
凄い時代になりましたよね。
そして今日はお客様からお祝いのケーキをいただきました。
僕は留守してたんですけど家族よりも早くプレゼントをいただいちゃいました。
本当にありがとうございます。
当たり前じゃない
僕は6年前に東日本大震災を経験しました。


それまでは仕事があること・家族がいること・温かいご飯が食べられること・温かいお風呂に入れること・温かい布団で寝られること、それらのことすべてが当たり前だと思ってました。
しかし震災を経験し中学校の体育館で9人で夜ご飯はおにぎり2つ、段ボールで一晩過ごし次の日にはそのまま避難生活が始まり温かいお風呂には2日入れず、泊まったビジネスホテルでも余震が続く中熟睡できず荷物はまとめておいていつでも逃げられる準備をし、本当に気が休まったと思ったのは横浜の姉の家に避難した時ですね。
仕事だって始めてからは年に一度の2日連休があるだけで休みが欲しいってずっと思ってましたけど、いざ震災で2週間も仕事をしていないと自分がダメになっちゃうんじゃないかと思い悩んでいました。
それまで当たり前と思っていたことが一瞬にして当たり前じゃなくなったんです。
僕はそのことを皮肉なことに震災を通して気づくことができました。
そしてそれからは全ての当たり前が当たり前じゃないんだと思うようになり、それと同時に何事にも感謝するという気持ちを持つようになりました。
でもこれって震災だけじゃなく誰にでも起こりうることだと思うんです。
今まで当たり前だと思ってたことが一瞬で当たり前じゃなくなる。
だから改めて日々感謝してこれからも生活をしていこうと、いつもよりちょっとだけ早起きした朝に思った45歳の誕生日でした。
これからも宜しくお願いします。